小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

手塚治虫著 「ぼくのマンガ人生」を読む

手塚治虫著 「ぼくのマンガ人生」を読む 病気療養中につき、本を読む持久力が、随分と落ちてしまったことに、気がつく。それとも、歳のせいだろうか?谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」を、手塚は、読んだことがあるのではないかということを、何かの書評で、読んだことがある。それが、鉄腕アトムの主題歌と作品にも、反映されていると、、、、、、。(主題歌の作詞は、彼が自ら依頼した谷川俊太郎である。) 子供の時に、随分と、本人は、その特異な風貌と行動により、「いじめ」にあったと言うが、当時の友人達は、必ずしも、そうではないと否定しているそうであるが、、、、、。そんな天才、手塚も、ウォルト・ディズニー同様、創作家、クリエーターとしては、稀代の天才であっても、必ずしも、実業家、金儲けの世界では、むしろ、敗北者のレッテルを貼られても仕方ないところがある。しかしながら、彼の人一倍すごいところは、それでも、自分の才能が、クリエーターとしては、十分価値があることを自覚し、又、ベビー・カーで、有名な「コンビ」の支援者から、その価値を引き出して貰い、再起したことである。彼の哲学には、一貫として、テクノロジーの対局に位置する「人間らしい生活の見直し」教育を、子供の時から、心掛け、自然界との相互関係を地球的規模の中で、考えさせるという哲学が、様々な作品に、共通している。命の大切さ、暖かい心、子供の幸せ、夢を、冒険心を育む教育の追究の過程でのマンガを、彼の幼児期の孤独と闘争心とが、作品の中に、投影されているような気がしてならない。彼の座右の銘である「一期一会」と言う言葉も、成功と挫折の中で、「肩書きは要らない」という言葉の背景にあるようである。「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」、「ファウスト」、「火の鳥(復活篇)」、「ブッタ」、「リボンの騎士」、「三ツ目がとおる」、「ブラック・ジャック」、「アドルフに告ぐ」、等、すでに、アニメ文化が、海外にも、影響力を持つ時代であるが、魁として、国境を越えて文化を伝達した功績は大きい。子供向けのマンガというよりも、今や、子供大人と化した大人にこそ、普遍性を持っているような気がしてならない。まだ、読んだことのない題材も、一度、こんな背景を再確認して、手にとって読んでみたくなった。今日の「いじめ」の問題についても、存命していたら、何とコメントしているだろうか?作品の中にしか、答は、今や、見いだせないのが、残念である、、、、、、、、、、。