小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

排外主義という亡霊達

排外主義という亡霊達 いつの時代でも、国が危機的な状況に陥るときには、その矛盾をそらすために、民族主義的な排外主義の台頭が、時代を超えて、出てくるものである。ましてや、それが、「反日・愛国無罪」という「国是」と化した場合には、政治的に意図しようが、しまいが、実際に、コントロール不能の様相を呈してしまう可能性を内包しているのが、現実である。幕末のファナティックな常軌を逸した攘夷運動も、後の世から観れば、そのような種類の範疇かも知れないし、義和団事件も、最近の「反日・愛国無罪」教育も、竹島尖閣の問題も、それらとは、全く、無縁ではないであろう。全く、厄介な問題である。海洋国家であること、貿易立国であるという認識は、普遍性を持つことは、間違いあるまい。しかしながら、戦後、「平和・協調」を旗印に、掲げて、矛盾を内包しながらも、玉虫色に、処理していた事柄が、今や、通用しなくなり、今度は、相手国の政権末期などと、自分のことも、棚に上げて、一方的に、言うだけでは、解決が付かないであろうことは間違いないであろう。「裸官」と言う言葉が、示すように、自国の民衆の富を、自己利益の為のみに、私することは、反日・愛国の排外主義でも、問題解決できないことは、自明の理である。日本の右傾化を促しても、結局は、自国の利益にはならず、権力闘争という名の下に、如何なる得があるのであろうか?強制送還も、ビジネスクラスで、英雄・凱旋帰国気取りで、スポンサーの実業家の中国共産党や、人民解放軍との関係も明らかなのに、又、フェニックスTVなる得体の知れない親中メディアといい、既に、もう、「情報発信戦争」の段階である。又、同じ問題が生じ、徐々に、エスカレートしてゆくのは、ひをみるより明らかである。お互いの軍隊が全面に出ないまでも、実質的な民兵組織や名を替えた形のダミー民間愛国団体VS海上保安庁という図式が、近い将来の行き着く先を示すことになるかも知れない。いつから、互いの人脈・パイプが、詰まってしまったのであろうか?歴史認識の違いだけなのか?それにしても、互いの人脈が、世代交代と共に、あっさりと、パイプが、壊れてしまうのは、一体、どうしたものか?排外主義の暴発的な行き着く先は、歴史が、教えているが、、、、、、、。毅然とした断固たる冷静な態度とは、ポピュリズムに迎合しないことは、日清・日露の戦後外交交渉、戦前の対米英外交交渉でも、歴史が証明している如く、日本・韓国・中国でも、どこの国でも、共通することで有り、互いに、知恵を出し合わない限り、解決がつかないかも知れない。周恩来も鄧小平も、きっと、後世の人達に託した知恵が極めて、お粗末だったことに、今、初めて気がついているのかも知れない。その時代には、それが、最良の選択だったかも知れないが、、、、、、。日本のソフト・パワー、外交交渉、海外情報発信の度量が、改めて、問われることになろう。