小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

映画、『沈黙―サイレンス』を観る:

映画、『沈黙―サイレンス』を観る:

いつも、映画は、がらがらの中で、観ているものであるから、こんな満席の中で、映画を観るのは、久しぶりである。それにしても、斜陽産業と云われて久しいが、こんなに、大勢の人が観に来るとは、やはり、良い作品を、作り上げれば、結構、需要があると謂うことなのであろう。買うものがないとか、既に、飽和であるなどと云われているものの、まだまだ、商品企画と丁寧な商品つくりを行えば、需要はあるということに決して、間違いはない。

それにしても、もう、45年以上も前に、原作を読んだものであるから、映画を見終わってからでも、再び、読み返してみることにでもしようか?篠田正浩監督が、1971年、製作した同名の映画は、記憶にない事からすると、見てはいなかいのかも知れない。原作の本だけである。スコッティー監督の『タクシー・ドライバー』は、記憶にあるが、、、、、、。

 映画を観る上での時代考証と前後の歴史的な経緯を、他方整理してから、論評に入ることにしたい。時は、1641年キリシタン弾圧が厳しくなりつつある長崎、五島・生月島での話である。ザビエルが、鹿児島にキリスト教を伝えに、鹿児島に上陸したのが、1549年であり、その少し前の1543年には、種子島に、火縄銃が伝来したとされている。1552年には、ザビエルは、マカオで、ぼっしているから、インドのゴアを拠点とした、マカオ等のイエズス会系の極東への布教活動も、安土桃山時代の、信長・秀吉・家康へと覇権が移行してゆく過程での南蛮貿易キリシタン大名、世界的な政治状況下の中での出来事として、ある程度、理解しておかないと、ポルトガル・オランダ・イギリス・スペインの世界的な覇権をも、充分、念頭に置きながら、観ておかなければ、単なる内面的な『神の問題』としてのみ、尤も、それこそが、主題であることには、変わりはないのであるけれどもである。それは、後半に、論じることにして、これらの一連の流れの中で、1587年の場t4エレン追放令や」九州征伐の過程での秀吉の当時の黙認市井が、1596年サンフェリペ号事件や1597年のフランシスコ会系の日本26聖人処刑事件へと、日本でのキリスト教布教に於ける、ドミニコ系、フランシスコ系、イエズス会系の主導権争いや、日本人奴隷売買の摘発などやらから、これまでの緩やかな間接統治、現地主義から、より根源的な直接的な宣教方式への転換とが相待って、既存仏教宗教勢力への排外主義・衝突も有り、更には、1637年の島原の乱による藩主の切腹ではない、斬首という形で、喧嘩両成敗的に、処罰される絶滅的なキリシタン抹殺へと、突き進んでゆくことになる。それは、皮肉にも、スペイン・ポルトガルから、徐々に、オランダ・イギリス、ウィリアム・アダムスや、八重洲の基になる、ヤン・ヨーステンなどの、事例を皮肉にも、観るまでもなく、世界貿易の実利と宗教の乖離を、徹底して、長崎平戸の出島へと、向かう過程でもあろうか、それは、世界史的にも、丁度、アルマダの海戦から、オランダ独立戦争に至る80年戦争への過程とも、符合する過程なのかも知れない。宗派的には、ポルトガル系のカソリック系から、オランダ流のプロテスタント系へ、或いは、間接統治主義だったキリシタン大名の勃興から、没落へ、至る、二度に亘る大きな殉教事件を引き起こす1619年、1622年という過程を経た上での暗黒の時代の出来事だったという背景を、私達は、十分理解しておかなければならないし、或いは、時の為政者の意図と、思想背景を理解しておかなければ、『内的な問題』、とりわけ、『神の沈黙』、『弱き者達』、『西洋と日本との思想の断絶』、『棄教の背景』、或いは、より、広い意味合いでの『転向・転び』という課題を考えるときに、充分、理解出来ずに、『今日的な課題』として、捉えることを妨げることになりはしないだろうか?心的な課題に立ち入った後で、最後に、映画評論を多生論じてみることにしたい。

 それにしても、中世の魔女狩りではないが、『拷問の歴史』、それは、ゲシュタポでも、北朝鮮の秘密警察でも、戦前の日本の特高でも、江戸時代のキリシタン弾圧の、逆さ吊りで、その血を一滴づつ、何日も掛けて、じわじわ苦しめながら、いたぶるやり方の前では、そんな『善意に満ちた信念』などは、木っ端微塵に、砕け散ってしまうことだけは、明らかであろう。とりわけ、今、若い頃を想い起こすときに、60年代の韓国でのキム・ジハの拷問前に宣誓した自白不当宣言文を、想い起こす。それは、如何なる拷問によっても、自らの信ずる『思想・信条・信念』は、決して変わることなく、強制的な拷問による自白は、有効ではないと宣するモノであった。謂わば、やむなく『踏み絵を踏む』ことと違いはない。『踏むがいい。汝を守る為に、この世に生かされ、痛さを分かつために十字架を背負った』と、どこからか、聞こえてくる、囁き掛ける声は、『弱き者』、『罪深き者』、を赦し、生き延びよとも、諭しているかのようである。『棄教』も、信仰を守りつつ、死にゆくものも、『死という鏡』の表と裏という一対だったのかも知れない。それでも、生き延びた者は、必ずその心の底に、悔悟と悔いを引き釣りながら、苦しみながら、日々、生きて行くことになる。弾圧する為政者の側にも、厳しくしても、根っこを徹底的に、叩きつぶしても、決して、根絶やしにすることは不可能であることを悟り、昔の『一向一揆』ではないが、結局、自分たちにも、或いは、キリシタン側にも、お互いに、都合の良い『形だけで良い転び』を、生み出して行くことになる。これは、『戦争中の転向』ではないが、如何にも、日本的な手法で有り、双方の面子を、互いに、折りの良いところで、融合するという一種の面子を重んじた『妥協的な手段』なのであろうか?『形だけで良い、形だけで良いのだ』という甘い悪魔のような囁きは、なかなか、刺激的なものである。棄教でもなく、背教でもなく、転向でもなく、『転ぶ』、転んでも、再び、『起き上がる』のである。日本的なるものとは、一体、何なのであろうか?そんな『甘い魅惑的な囁き』とは、果たして、何なのであろうか?きっと、日本的な思想と西洋的な思想との衝突から生じた『ある種の断絶』を、この時代には、こうしたやり方で、昇華・止揚してしまったのであろうか?究極的な虐殺という行き着いた先に、見いだしたものこそが、『転び』という八方全て、丸く収まる究極の選択であったのであろうか?

一向門徒も、悪人尚もて、往生すという親鸞の教えも、ジハードを厭わずに、殉教するモスリムも、この時代に、タイムスリップしたら、彼らは、どうしたであろうか?そして、肝心要の観客である我々は、果たして、どんな選択をしたことであろうか?密告もせずに、唯ひたすら、何度も形だけの踏み絵を踏み、唾を吐きかけて、転んでは何度もまた、立ち上がり、懺悔を繰り返しながら、結局、キチジローのように、処刑されるのであろうか?それとも、モキチのように、転びながらも、信念の中で、死んで行く途を選ぶのであろうか?『弱き者』は、どう生きて行けば良いのであろうか?

 窪塚洋介が、日本側での『よわき者』を代表する、片方の主役とすれば、明らかに、その対極にある相手方の主役は、イッセー緒方演じる、奉行であろう、その英語の演技もなかなかなものであると同時に、如何にも、悪意を内に包みながら、その自覚をおくびにも出さずに、飄々として、冷徹な官僚の役で、確信犯的な役柄と心理的な描写の演技は、実に、特筆すべきモノがある。そして、通史役の浅野忠正は、英語の台詞もあることながら、その小役人的な心情が、微妙に、台詞や演技にも、醸し出されていて、実に、これも面白い。それにしても、この時代の『貧困と格差』とは、映画とは云え、想像を遙かに超えるものがある。映画の中では、その後も、思想の再犯チェックは、とりわけ、厳しく、常に、確認、再確認、再々確認が、行われていたことがよく理解出来る。二時間40分程の大作出るから、その間、ずっと、観客は、嗚咽をひたすら、堪えながら、あるときは、堪え忍び、あるときは、堪えきれすにと、息苦しい連続であった。精根尽き果てると云うが、映画を観ながら、そんな感じで、上映後は、皆、押し黙りながら、映画館を後にしていった。少々、年寄りには、体力を必要とする映画であろうか?若い人には、是非、見てもらいたい映画であるし、無論作品を、読んでもらいたいと思う。もう一度、再読することにしようかな。それにしても、来日する中国人観光客が、きっと、中国の地下教会信者に向けて、DVDのコピーを持ち帰ることは必至であろうが、彼らは、中国現地で、どのように観賞するのであろうか?ロケ地が、台湾で、コストを節約するために、重視されたことは、長崎、五島の隠れキリシタンの子孫達には、少々、残念であった事は確かであろう。もっとも、転んだ人達がいなかったら、今日の子孫も存在しないことは、誠に、歴史の皮肉と云うほかないが、、、、、、、、、。

 

稀勢の里に思う

稀勢の里に思う:

何とも、糖尿病と闘い、苦しんだ往年のおしん横綱でもあり、又、師匠であった、隆の里親方にも、通じる土俵人生模様である。それでも、『そんなに急いで横綱にならずとも良い』とは、思っていたものの、瞬間的な短期的な二場所程度の勢いで、あっという間に、先を越されそうな状況の中では、おいおい、本当に、いつも、ここ一番と云うときには、期待を裏切る、気弱な大関であると、呆れ果てられてしまう矢先の出来事である。誠に、今時、流行らない、叩き上げの中学出の愚直で、要領の悪い、不器用な力士で、まるで、醜いアヒルの卵のようであろうか?これまでも、ここぞという、肝心な一番には、負けてしまうのは、メンタル・トレーニングや、コーチが、相撲界には、いなかったのであろうか?これ程までに、科学的なスポーツ・トレーニングが、進んでいる今日でも、相撲界という所は、祭器と士魂とが、宿る神聖不可侵な土俵という聖域なのであり、スポーツは無縁の場所だったのであろうか?昔、何かのスポーツ番組で、横綱になる力士の条件を、その時の

横綱の年齢・成績・怪我と休場の回数とかをデータ分析してみて、誰が、近い将来、横綱になれそうで、又、なれそうにないかということを推理していたことを想い出すが、やはり、力士の商品ライフサイクルではないが、そういう、伸び盛りか、下降時期なのかということも、ある意味では、生まれたときが悪かった式なタイミングもあるのかも知れない。大鵬がいなければ、柏戸ももっと、優勝回数が増えていたかも知れないし、稀勢の里も、白鵬がいたから、或いは、モンゴル勢に囲まれて、これまで、散々煮え湯を飲まされてきたのかも知れない、そう思うと、なかなか、相撲界も、人生模様を観ているようで、なかなか、面白いモノがある。今回は、流石に、白鵬も、変わることなく、正々堂々と、真っ向勝負で、力の限りに、といっても、自分の衰えを自覚しながらかも知れないが、短期決戦で、勝負に、強引に出てきたのかも知れない。そうしないと、勝てないのかとも、うすうす、自覚していたのかもし得ない。どう考えても、これまでの実績がなくて、負け越しや、休場や怪我で負け越しているのに、突然変異の如く、全勝優勝などが出来てしまう相撲というスポーツも、実に、面白いではないか?優勝しても、翌場所が振るわないなどと云うのも、これも又、妙なことである。時間が、かかった分、人は、その地位により、その器量が備わることになると云われていますが、これからが、本当の始まりで、これからの稀勢の里の活躍に期待しましょう、そして、これまで通り、師匠の教えをしっかりと守り実行出来るか、一番苦しい稽古をしてきたから、勝利する自信が生まれてくるはずで、嬉しくとも、土俵上では、表情に表さないという、祭儀の礼儀を、横綱として、常に、実行出来るのかが、改めて、これからの土俵上で真に、その横綱としての品格が、試されることになるのかも知れない。力士の怪我が多い中で、これまで、休場がなかったと云うことは、又、優勝のない力士の最多勝利獲得ということも、特筆されるべきことである。元大乃国や、元霧島などの優勝が出来なかったことへのコメントを解説で聞いていても、人生、実力だけでなくて、プラスの運も味方すると謂うこともあるものである。それにしても、地位がその人を作るように、大器晩成でもよいから、急がずに、自分なりの横綱像を築き上げて貰いたいことを願ってやまない。

 

稀勢の里に思う

稀勢の里に思う:

何とも、糖尿病と闘い、苦しんだ往年のおしん横綱でもあり、又、師匠であった、隆の里親方にも、通じる土俵人生模様である。それでも、『そんなに急いで横綱にならずとも良い』とは、思っていたものの、瞬間的な短期的な二場所程度の勢いで、あっという間に、先を越されそうな状況の中では、おいおい、本当に、いつも、ここ一番と云うときには、期待を裏切る、気弱な大関であると、呆れ果てられてしまう矢先の出来事である。誠に、今時、流行らない、叩き上げの中学出の愚直で、要領の悪い、不器用な力士で、まるで、醜いアヒルの卵のようであろうか?これまでも、ここぞという、肝心な一番には、負けてしまうのは、メンタル・トレーニングや、コーチが、相撲界には、いなかったのであろうか?これ程までに、科学的なスポーツ・トレーニングが、進んでいる今日でも、相撲界という所は、祭器と士魂とが、宿る神聖不可侵な土俵という聖域なのであり、スポーツは無縁の場所だったのであろうか?昔、何かのスポーツ番組で、横綱になる力士の条件を、その時の

横綱の年齢・成績・怪我と休場の回数とかをデータ分析してみて、誰が、近い将来、横綱になれそうで、又、なれそうにないかということを推理していたことを想い出すが、やはり、力士の商品ライフサイクルではないが、そういう、伸び盛りか、下降時期なのかということも、ある意味では、生まれたときが悪かった式なタイミングもあるのかも知れない。大鵬がいなければ、柏戸ももっと、優勝回数が増えていたかも知れないし、稀勢の里も、白鵬がいたから、或いは、モンゴル勢に囲まれて、これまで、散々煮え湯を飲まされてきたのかも知れない、そう思うと、なかなか、相撲界も、人生模様を観ているようで、なかなか、面白いモノがある。今回は、流石に、白鵬も、変わることなく、正々堂々と、真っ向勝負で、力の限りに、といっても、自分の衰えを自覚しながらかも知れないが、短期決戦で、勝負に、強引に出てきたのかも知れない。そうしないと、勝てないのかとも、うすうす、自覚していたのかもし得ない。どう考えても、これまでの実績がなくて、負け越しや、休場や怪我で負け越しているのに、突然変異の如く、全勝優勝などが出来てしまう相撲というスポーツも、実に、面白いではないか?優勝しても、翌場所が振るわないなどと云うのも、これも又、妙なことである。時間が、かかった分、人は、その地位により、その器量が備わることになると云われていますが、これからが、本当の始まりで、これからの稀勢の里の活躍に期待しましょう、そして、これまで通り、師匠の教えをしっかりと守り実行出来るか、一番苦しい稽古をしてきたから、勝利する自信が生まれてくるはずで、嬉しくとも、土俵上では、表情に表さないという、祭儀の礼儀を、横綱として、常に、実行出来るのかが、改めて、これからの土俵上で真に、その横綱としての品格が、試されることになるのかも知れない。力士の怪我が多い中で、これまで、休場がなかったと云うことは、又、優勝のない力士の最多勝利獲得ということも、特筆されるべきことである。元大乃国や、元霧島などの優勝が出来なかったことへのコメントを解説で聞いていても、人生、実力だけでなくて、プラスの運も味方すると謂うこともあるものである。それにしても、地位がその人を作るように、大器晩成でもよいから、急がずに、自分なりの横綱像を築き上げて貰いたいことを願ってやまない。

 

映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

=映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

東京という都市は、随分と便利且つ、贅沢なところである。平日の午後だというのに、良い映画を観たいという中年の映画ファン達に、席がほとんど、埋められているのには、驚かされる。丁度3年程も前のことだろうか、映画『ハンナカーレント』を新宿で観た時と、同じような情景である。同じホロコーストの『アイヒマン』を題材にしているものの、こちらは、裁判そのものではなくて、拉致・裁判に至る迄のドイツ人検事総長とその周辺の関係者の内面に関わる、ナチス残党(というよりも温存されたエスタブリッシュメント)との闘い、ドイツ人の歴史認識精算に関する問題、そういう観点から、翻って、日本人は、一体どうだったのであろうかと、考えると、実に、考えさせられる内容の映画である。

アイヒマン裁判は、子供の頃に、その逮捕と裁判の記事を今でも、子供心に想い出す。考えてみれば、自分が生まれた頃は、未だ、戦後復興と戦後政治秩序の処理とかが、ニュールンベルグ裁判も、東京裁判も、そうかも知れないが、歴史認識に対する政治ショー的な、東西冷戦の中での互いによるむき出しな凌ぎ合いのような様相で、フリッツ・バウアー検事総長も、決して、その枠外であったわけでは決してない。それにしても、我々は、どうやら、ドイツ人の、ドイツ人による、『ナチズムに対する歴史認識の成功的な精算』という事実は、正しくなかったことが、どうやら、改めて、この映画を観る限りは、再認識される。同じように、日本も、戦後間もなく始まった朝鮮戦争による経済再復興の最優先と、国民に開かれた(?)皇室と天皇制による政治的な統合のマヌーバーにより、日本人による、真の日本人のための、『歴史認識の精算』は、果たして、なされたのであろうか?それは、未だに、二度に亘る安保闘争学生運動の高揚の時代を経ても、虚しく、戦後民主主義の課題、沖縄基地の問題、原発事故の問題、韓国慰安婦問題、日露の領土・戦後処理、中国との歴史認識の対立、対米従属、地位協定の問題など、明らかに、今日まで、70年以上経過していても、問題が先遅れされていることも事実であろう。考えてみれば、ユダヤ人としての出自を有しながらも、復讐ではなく、正義と信念に基づき、当時のアデナウアー首相などのドイツ政府高官の政治的な恥部を、明らかに、すべく、ドイツでの裁判公開を目論むものの、当時の東西冷戦や、既に芽生え始めているユダヤとアラブの対立や、東西冷戦、西ベルリンと東ベルリンという、東西冷戦の影響など、我々が、いやが上にも、否定しきれない状況に、当時は、もっと、制約されていたことが、改めて、認識される。当時の若者とのテレビの議論でも、考えてみれば、20代・30代のドイツの若者達も、実は、ナチスの躍進してくる頃に、幼い頃を過ごすか、教育を受けてきた世代であることも、実に、皮肉以外の何ものでないであろう。謂わば、日本での『皇国少年・少女』と、彼ら、『ヒットラー・ユーゲント世代』とは、どのように、対比、考察されるべきなのであろうか?更に云えば、世界的な、『スチューデント・パワー世代』と『紅衛兵世代』は、今日、どんな、立場で、どのような考え方で、社会の中で、根付いているのであろうか?或いは、彼らの子供や、孫の世代へ、どのように、今日的な歴史的認識という意識は、継承されているのであろうか?そう考えると、戦後ドイツに温存され、根深く巣くったナチスの残党の影響というモノは、ひょっとすると、今日の『民族浄化』や『民族排外主義』とか、『移民排斥』や、『差別・格差』、『新たな見えない敵への恐怖の創出』へと、繋がっているのであろうか?こうした観点から、この映画を観ていると、『ニュールンベルグ裁判』と、『東京裁判』、『アイヒマン裁判』というものも、『イラク戦犯裁判』も含めて、とても、興味深く思えてくる。『人は、何を裁き?何のために、裁くのか?』そして、戦争犯罪を、『正義・公正』の名の下に、戦争犯罪人として、本当に裁けるのか?アイヒマンとは、『誰でもが、簡単に、アイヒマンになれてしまうこと』に、そのナチズムの恐ろしさがあると、ハンナアーレントは、アイヒマン裁判を見守る中で、語っていたが、東京裁判での過程で、原爆投下責任論や、戦争犯罪を裁判で裁けるのかという重い課題をハル検事達が、問題提起していることを、一体、どれ程の日本人が、知らされているであろうか?アイヒマンの居場所情報を、モサドにリークさせたという事実は、バウアーの死後、10年経過して後に、初めて開示されたとか、云われているが、それ程までに、国家反逆罪という重い法的な拘束とナチス残党による政府官僚組織、或いは、メルセデス・ベンツなども含めた形での産軍共同体による資金的・人的・組織的なナチス残党への支援などを観ていると、日本でも、戦後は、同じようなことが、温存されていることは、決して、否定してもし切れない何かがあろう。若い部下が、結局、スキャンダルによる脅しを断固拒否して、自らの家庭と職をなげうつことと引き替えに、その秘密を秘守したことは、自らが『過去に犯した妥協と亡命による延命』という選択を、皮肉にも、対比しているかのようである。正義と信念を貫くことで、自らの命の断たざるを得なかった友人達は、バウアーが選択した『途』を、果たして、是としたのであろうか?それとも、結局、芋づる式に、犯罪行為を暴けなかった結果、或いは、アイヒマン一人だけに罪を被せて終了してしまったと言う結果に対して、どのような評価を加えたのであろうか?そして、我々、日本人は、『どれ程までに、自らの手で、日本人の手で、』、『自らの責任と結果』を、これまで、総括したのであろうか?そう考えると、未だに、70年経た今日でも、我々日本人は、再びの豊かさを求め、『経済復興・最優先』であり、60年代から始まる、所得倍増計画や、その後に続く『奇蹟の戦後復興・経済成長』という図式は、今でも、やはり、『すべてに、経済的な復興が、豊かさが、最優先される』という図式が、全く、変わっていないことは、どうしたものだろうか?それにしても、アメリカ映画の全盛の中で、やはり、ドイツ映画や、フランス、イタリア映画などは、興味深いモノがある。次は、遠藤周作、原作の映画『沈黙 サイレンス』、121日からが楽しみである。こちらも、『転向と形だけの転びと棄教』と言う観点から、共通する課題だろうか?冬の間は、少々、映画観賞に明け暮れルとしようか、、、、、、、。

 

映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

=映画『アイヒマンを追え』を観る (渋谷:BUNKAMURA ル・シネマ)

東京という都市は、随分と便利且つ、贅沢なところである。平日の午後だというのに、良い映画を観たいという中年の映画ファン達に、席がほとんど、埋められているのには、驚かされる。丁度3年程も前のことだろうか、映画『ハンナカーレント』を新宿で観た時と、同じような情景である。同じホロコーストの『アイヒマン』を題材にしているものの、こちらは、裁判そのものではなくて、拉致・裁判に至る迄のドイツ人検事総長とその周辺の関係者の内面に関わる、ナチス残党(というよりも温存されたエスタブリッシュメント)との闘い、ドイツ人の歴史認識精算に関する問題、そういう観点から、翻って、日本人は、一体どうだったのであろうかと、考えると、実に、考えさせられる内容の映画である。

アイヒマン裁判は、子供の頃に、その逮捕と裁判の記事を今でも、子供心に想い出す。考えてみれば、自分が生まれた頃は、未だ、戦後復興と戦後政治秩序の処理とかが、ニュールンベルグ裁判も、東京裁判も、そうかも知れないが、歴史認識に対する政治ショー的な、東西冷戦の中での互いによるむき出しな凌ぎ合いのような様相で、フリッツ・バウアー検事総長も、決して、その枠外であったわけでは決してない。それにしても、我々は、どうやら、ドイツ人の、ドイツ人による、『ナチズムに対する歴史認識の成功的な精算』という事実は、正しくなかったことが、どうやら、改めて、この映画を観る限りは、再認識される。同じように、日本も、戦後間もなく始まった朝鮮戦争による経済再復興の最優先と、国民に開かれた(?)皇室と天皇制による政治的な統合のマヌーバーにより、日本人による、真の日本人のための、『歴史認識の精算』は、果たして、なされたのであろうか?それは、未だに、二度に亘る安保闘争学生運動の高揚の時代を経ても、虚しく、戦後民主主義の課題、沖縄基地の問題、原発事故の問題、韓国慰安婦問題、日露の領土・戦後処理、中国との歴史認識の対立、対米従属、地位協定の問題など、明らかに、今日まで、70年以上経過していても、問題が先遅れされていることも事実であろう。考えてみれば、ユダヤ人としての出自を有しながらも、復讐ではなく、正義と信念に基づき、当時のアデナウアー首相などのドイツ政府高官の政治的な恥部を、明らかに、すべく、ドイツでの裁判公開を目論むものの、当時の東西冷戦や、既に芽生え始めているユダヤとアラブの対立や、東西冷戦、西ベルリンと東ベルリンという、東西冷戦の影響など、我々が、いやが上にも、否定しきれない状況に、当時は、もっと、制約されていたことが、改めて、認識される。当時の若者とのテレビの議論でも、考えてみれば、20代・30代のドイツの若者達も、実は、ナチスの躍進してくる頃に、幼い頃を過ごすか、教育を受けてきた世代であることも、実に、皮肉以外の何ものでないであろう。謂わば、日本での『皇国少年・少女』と、彼ら、『ヒットラー・ユーゲント世代』とは、どのように、対比、考察されるべきなのであろうか?更に云えば、世界的な、『スチューデント・パワー世代』と『紅衛兵世代』は、今日、どんな、立場で、どのような考え方で、社会の中で、根付いているのであろうか?或いは、彼らの子供や、孫の世代へ、どのように、今日的な歴史的認識という意識は、継承されているのであろうか?そう考えると、戦後ドイツに温存され、根深く巣くったナチスの残党の影響というモノは、ひょっとすると、今日の『民族浄化』や『民族排外主義』とか、『移民排斥』や、『差別・格差』、『新たな見えない敵への恐怖の創出』へと、繋がっているのであろうか?こうした観点から、この映画を観ていると、『ニュールンベルグ裁判』と、『東京裁判』、『アイヒマン裁判』というものも、『イラク戦犯裁判』も含めて、とても、興味深く思えてくる。『人は、何を裁き?何のために、裁くのか?』そして、戦争犯罪を、『正義・公正』の名の下に、戦争犯罪人として、本当に裁けるのか?アイヒマンとは、『誰でもが、簡単に、アイヒマンになれてしまうこと』に、そのナチズムの恐ろしさがあると、ハンナアーレントは、アイヒマン裁判を見守る中で、語っていたが、東京裁判での過程で、原爆投下責任論や、戦争犯罪を裁判で裁けるのかという重い課題をハル検事達が、問題提起していることを、一体、どれ程の日本人が、知らされているであろうか?アイヒマンの居場所情報を、モサドにリークさせたという事実は、バウアーの死後、10年経過して後に、初めて開示されたとか、云われているが、それ程までに、国家反逆罪という重い法的な拘束とナチス残党による政府官僚組織、或いは、メルセデス・ベンツなども含めた形での産軍共同体による資金的・人的・組織的なナチス残党への支援などを観ていると、日本でも、戦後は、同じようなことが、温存されていることは、決して、否定してもし切れない何かがあろう。若い部下が、結局、スキャンダルによる脅しを断固拒否して、自らの家庭と職をなげうつことと引き替えに、その秘密を秘守したことは、自らが『過去に犯した妥協と亡命による延命』という選択を、皮肉にも、対比しているかのようである。正義と信念を貫くことで、自らの命の断たざるを得なかった友人達は、バウアーが選択した『途』を、果たして、是としたのであろうか?それとも、結局、芋づる式に、犯罪行為を暴けなかった結果、或いは、アイヒマン一人だけに罪を被せて終了してしまったと言う結果に対して、どのような評価を加えたのであろうか?そして、我々、日本人は、『どれ程までに、自らの手で、日本人の手で、』、『自らの責任と結果』を、これまで、総括したのであろうか?そう考えると、未だに、70年経た今日でも、我々日本人は、再びの豊かさを求め、『経済復興・最優先』であり、60年代から始まる、所得倍増計画や、その後に続く『奇蹟の戦後復興・経済成長』という図式は、今でも、やはり、『すべてに、経済的な復興が、豊かさが、最優先される』という図式が、全く、変わっていないことは、どうしたものだろうか?それにしても、アメリカ映画の全盛の中で、やはり、ドイツ映画や、フランス、イタリア映画などは、興味深いモノがある。次は、遠藤周作、原作の映画『沈黙 サイレンス』、1月21日からが楽しみである。こちらも、『転向と形だけの転びと棄教』と言う観点から、共通する課題だろうか?冬の間は、少々、映画観賞に明け暮れルとしようか、、、、、、、。

 

体験の先に見えるものとは?:

体験の先に見えるものとは?:

国境を超えた爆買いが、ものの見事に、現地でのネット通販に変貌を遂げてしまった後から、今度は、モノではなくて、『こと買い』や、『体験』であると、しかも、それらは、収穫体験や、住民が暮らしているさまをのぞき見的に、取り敢えず、身近に、農業での収穫・栽培・草刈りでも、何でも良いから、料理までもが、幅広く、体験の対象となるものである。実は、そうしたことに、『価値』が、潜んでいることに、キッザリアではないが、職業体験も含めて、広い意味で、潜在的な大きな価値があることに、なかなか、気が付かないものである。それでは、一体、全体、こうした体験の先に見えるもの、地平は、どんなものなのであろうか?成る程、人間というものは、自ら、体験をしてみないと、今日のVRでは無いが、バーチャルなリアリティーは、体験できても、出来るものと出来ないものとがある。戦争などもその一つかも知れないが、もっと、身近なもので、『疑似体験』とでも云おうか、人間は、その体験を通じて、人と人が、互いに、考え方を共有したり、異なる思考形式を確認出来たりするものであろうか?さすれば、そうした体験をすることで、それが、どんなに、小さなものであれ、兎にも角にも、触ってみたり、食べてみたりすることで、或いは、生活を一緒にすることで、何らかの、劇的な化学的な反応が、その先に、生じてくるものなのかも知れない。謂わば、抽象論を、頭の中で、徹底的にイメージするのではなくて、自らの手で、自分の手で、肌で、感じることが、そもそも、必要なのかも知れない。そうすることで、誤解や、偏見や、中傷といった類のものが、見事に、氷解してしまうのかも知れない。もうこうなると、謂わば、ソフト・パワーではないが、グラス・ルーツ的な、草の根の個々人同士による外交活動にも通じることになるのかも知れない。その意味で、観光などと云うものは、観るだけでなくて、来てみて、触れて、体験して貰うことだけでも、大変な価値が、じつは、そこには、横たわっているのかも知れない。そう考えると、一緒に、汗を流して、同じメシを食うと云う事でも、実は、もの凄い価値が、潜在的に、有しているのかも知れない。更には、一緒に、体験を共有し、労働の後に、風呂に入って、互いの汗を流し合ったり、同じ釜のメシを食う事も、ヒョッとして、『兄弟』と呼び合える関係にまで、発展させるきっかけと礎を有する程の何ものなのかも知れない。そう考えると、異なる文化とか、異なる環境の下で、暮らしている人達、異教徒(?)とも、一夜にして、見事に、兄弟たり得るチャンスが、その体験の先には、あるのかも知れない。音楽とか、芸術とか、何でも良いから、或いは、普通の和食の料理を通じてでも、何でも良いから、一緒に、同時に、時間と空間を体験を通じて、共有することの先には、どうやら、こういう『異文化理解』へと、更には、排外主義の予防にも、なりうる可能性を、実は、秘めているのかも知れない。

 

体験の先に見えるものとは?:

体験の先に見えるものとは?:

国境を超えた爆買いが、ものの見事に、現地でのネット通販に変貌を遂げてしまった後から、今度は、モノではなくて、『こと買い』や、『体験』であると、しかも、それらは、収穫体験や、住民が暮らしているさまをのぞき見的に、取り敢えず、身近に、農業での収穫・栽培・草刈りでも、何でも良いから、料理までもが、幅広く、体験の対象となるものである。実は、そうしたことに、『価値』が、潜んでいることに、キッザリアではないが、職業体験も含めて、広い意味で、潜在的な大きな価値があることに、なかなか、気が付かないものである。それでは、一体、全体、こうした体験の先に見えるもの、地平は、どんなものなのであろうか?成る程、人間というものは、自ら、体験をしてみないと、今日のVRでは無いが、バーチャルなリアリティーは、体験できても、出来るものと出来ないものとがある。戦争などもその一つかも知れないが、もっと、身近なもので、『疑似体験』とでも云おうか、人間は、その体験を通じて、人と人が、互いに、考え方を共有したり、異なる思考形式を確認出来たりするものであろうか?さすれば、そうした体験をすることで、それが、どんなに、小さなものであれ、兎にも角にも、触ってみたり、食べてみたりすることで、或いは、生活を一緒にすることで、何らかの、劇的な化学的な反応が、その先に、生じてくるものなのかも知れない。謂わば、抽象論を、頭の中で、徹底的にイメージするのではなくて、自らの手で、自分の手で、肌で、感じることが、そもそも、必要なのかも知れない。そうすることで、誤解や、偏見や、中傷といった類のものが、見事に、氷解してしまうのかも知れない。もうこうなると、謂わば、ソフト・パワーではないが、グラス・ルーツ的な、草の根の個々人同士による外交活動にも通じることになるのかも知れない。その意味で、観光などと云うものは、観るだけでなくて、来てみて、触れて、体験して貰うことだけでも、大変な価値が、じつは、そこには、横たわっているのかも知れない。そう考えると、一緒に、汗を流して、同じメシを食うと云う事でも、実は、もの凄い価値が、潜在的に、有しているのかも知れない。更には、一緒に、体験を共有し、労働の後に、風呂に入って、互いの汗を流し合ったり、同じ釜のメシを食う事も、ヒョッとして、『兄弟』と呼び合える関係にまで、発展させるきっかけと礎を有する程の何ものなのかも知れない。そう考えると、異なる文化とか、異なる環境の下で、暮らしている人達、異教徒(?)とも、一夜にして、見事に、兄弟たり得るチャンスが、その体験の先には、あるのかも知れない。音楽とか、芸術とか、何でも良いから、或いは、普通の和食の料理を通じてでも、何でも良いから、一緒に、同時に、時間と空間を体験を通じて、共有することの先には、どうやら、こういう『異文化理解』へと、更には、排外主義の予防にも、なりうる可能性を、実は、秘めているのかも知れない。

 

『コスプレ』を愉しむ:

『コスプレ』を愉しむ:

と言っても、流石に、この歳になって、ライフ・スタイルを突然、変えてまでも、ゲームのキャラクターになりきって、自らが、手作り衣装を着用して、コスチューム・プレーを愉しむのではない。たまたま、小諸の青雲館に宿泊していた若い女性の四人組のお客さんが、所謂、『コスプレ』を150年の旧い書院の間で、撮影をするのを、観る機会を得ただけの話である。それにしても、メディアなどで、海外でも、お宅と称するアニメ・コスプレのことは、知識としては、知っていても、その人達と直接接して、会話をすることは、ほとんどなかったのが、実態であろう。それにしても、身勝手な憶測とか、偏見とか云うものは、無意味で、実際に、間近に接して、話を伺ってみると、なかなか、興味深いものである。彼らの情報発信は、今や、ツイッターが主体らしく、逆に、コスプレの愛好者達が、ツイッターを支えているそうである。『刀剣乱舞』というゲーム・チャラクターであるそうで、そもそも、こちらは、ゲーム自体をやったこともなければ、題材を云われても、知るよしもない。早速、パソコンで、検索して、予備調査と知識を得ることにした。話によると、小諸市では、懐古園での屋外撮影を許可しているそうで、当日も、3時間を掛けて、懐古園で、撮影したそうである。何でも、撮影場所によっては、施設の事前許可とかが必要だそうで、その手続きも、結構、大変な予備作業が必要だそうである。又、刀とか、槍とか、衣装・小道具、撮影のための反射板とか、結構、大掛かりな荷物を、移動・搬送しなければならないそうである。それにしても、想像以上に、この撮影というものは、面白いモノである。コスチューム、小道具、撮影の背景場所の選定、屋内・屋外、陽の差し方、光源の設定、歴史の勉強とか、只、単に、『オタク』というカタカナ言葉で、片付けられない『何ものか』がありそうである。これは、一体、何なのであろうか?その瞬間、瞬間のキャラクターによる、決め台詞ではないが、きめポーズをすることにより、その人物になりきるのであろうか?芝居では、非日常性の役柄に、なりきるのであるが、これは、『言葉と行動』によるもので、これが、演技というものに、昇華されるというのであれば、コスプレとは、ある種の衣装・小道具による、非日常性への空間移動とでも云うべきものなのであろうか?言葉を発することもなく、静かに、その情景の中に、まるで、タイムスリップでもするかの如きものなのであろうか?その時、人間は、その演者は、どんな気持ちになるのであろうか?なりすましなのか?バーチャルな非現実的な非日常の時間と空間に、身を置くのであろうか?その時の気持ちとは?もはや、こうなると、観る側から、コスプレを演じる側へと、立場を移さないと、判らないのであろうか?撮影された何枚かの写真を眺めていると、写真撮影というものも、同時に、考えさせられてしまう。これは、一瞬の瞬間的な『記憶』なのか、それとも、非日常的な一寸シュールな『心の軌跡』なのか、そう考えると、旅をすることで、そういう場所探し機会と場所を提供するサービスがあっても宜しいのではないかとも、思われる。次は、四季折々、その時に応じて、屋外でも撮影出来る場所を、紹介してあげたいとも、自然と感じてしまう。早速、ツイッターに、投稿してみた。青雲館ツイッター@SeiunkanKomoro にて、写真はご覧下さい。

 
 

『コスプレ』を愉しむ:

『コスプレ』を愉しむ:

と言っても、流石に、この歳になって、ライフ・スタイルを突然、変えてまでも、ゲームのキャラクターになりきって、自らが、手作り衣装を着用して、コスチューム・プレーを愉しむのではない。たまたま、小諸の青雲館 に宿泊していた若い女性の四人組のお客さんが、所謂、『コスプレ』を150年の旧い書院の間で、撮影をするのを、観る機会を得ただけの話である。それにしても、メディアなどで、海外でも、お宅と称するアニメ・コスプレのことは、知識としては、知っていても、その人達と直接接して、会話をすることは、ほとんどなかったのが、実態であろう。それにしても、身勝手な憶測とか、偏見とか云うものは、無意味で、実際に、間近に接して、話を伺ってみると、なかなか、興味深いものである。彼らの情報発信は、今や、ツイッターが主体らしく、逆に、コスプレの愛好者達が、ツイッターを支えているそうである。『刀剣乱舞』というゲーム・チャラクターであるそうで、そもそも、こちらは、ゲーム自体をやったこともなければ、題材を云われても、知るよしもない。早速、パソコンで、検索して、予備調査と知識を得ることにした。話によると、小諸市では、懐古園での屋外撮影を許可しているそうで、当日も、3時間を掛けて、懐古園で、撮影したそうである。何でも、撮影場所によっては、施設の事前許可とかが必要だそうで、その手続きも、結構、大変な予備作業が必要だそうである。又、刀とか、槍とか、衣装・小道具、撮影のための反射板とか、結構、大掛かりな荷物を、移動・搬送しなければならないそうである。それにしても、想像以上に、この撮影というものは、面白いモノである。コスチューム、小道具、撮影の背景場所の選定、屋内・屋外、陽の差し方、光源の設定、歴史の勉強とか、只、単に、『オタク』というカタカナ言葉で、片付けられない『何ものか』がありそうである。これは、一体、何なのであろうか?その瞬間、瞬間のキャラクターによる、決め台詞ではないが、きめポーズをすることにより、その人物になりきるのであろうか?芝居では、非日常性の役柄に、なりきるのであるが、これは、『言葉と行動』によるもので、これが、演技というものに、昇華されるというのであれば、コスプレとは、ある種の衣装・小道具による、非日常性への空間移動とでも云うべきものなのであろうか?言葉を発することもなく、静かに、その情景の中に、まるで、タイムスリップでもするかの如きものなのであろうか?その時、人間は、その演者は、どんな気持ちになるのであろうか?なりすましなのか?バーチャルな非現実的な非日常の時間と空間に、身を置くのであろうか?その時の気持ちとは?もはや、こうなると、観る側から、コスプレを演じる側へと、立場を移さないと、判らないのであろうか?撮影された何枚かの写真を眺めていると、写真撮影というものも、同時に、考えさせられてしまう。これは、一瞬の瞬間的な『記憶』なのか、それとも、非日常的な一寸シュールな『心の軌跡』なのか、そう考えると、旅をすることで、そういう場所探し機会と場所を提供するサービスがあっても宜しいのではないかとも、思われる。次は、四季折々、その時に応じて、屋外でも撮影出来る場所を、紹介してあげたいとも、自然と感じてしまう。早速、ツイッターに、投稿してみた。青雲館 、ツイッター@SeiunkanKomoro にて、写真はご覧下さい。

 

 

高橋まゆみ人形館にゆく;

高橋まゆみ人形館にゆく;

飯山は、これまで、いつも、素通りしていたが、たまたま、戸狩温泉スキー場の民宿に行く途中で、初めて、高橋まゆみ人形博物館に、立ち寄ってみることにした。勝手に、年寄りの人形ばかりだから、その作者も又、年寄りだろうとくらいに、タカをくくっていたら、存外、作者は、若い作者であったこととに、少々、自分の不明を恥じ入ると共に、拍子抜けしてしまった。それにしても、紙粘土で、様々な情感を、とりわけ、老夫婦の関係性や、老母と娘の関係性、或いは、お爺さんと男子の孫や、チンドン屋や、寅さんや、お瞽女の集団や、兎に角、今や、化石と化してしまっているような『関係性と情景』が、小さな粘土細工の人形の中に、見事に、表されている。その表情の、或いは、その仕草だけでなくて、その皺の一筋一筋までもが、見事なまでに、表現されていることに、驚かされる。これは、もう、言葉自体が、必要では無い、只単に、国を超えて、民族を超えて、この芸術的な作品を観るだけの価値は、おおいにありそうである。魚釣りを一緒に、愉しむ情景、看護で、たまたまうたた寝をしてしまった娘を気遣う老婆の手のぬくもり、もう恐らく、80歳をゆうに超えてしまった老夫婦の愛情溢れる情景と仕草など、よくも、こんな情景を、その瞬間、瞬間を、見事に、切り取って、作品に、凝縮・昇華させてしまう技術力は、全く、驚くべきものがある。情景とか、仕草とかというものは、成る程、その一瞬を切り取ってみると、写真撮影とも繋がるような共通点があるのかも知れない。なんだか、既に亡くなってしまった両親や祖父母のことを、遠い昔の記憶の片隅を、想い起こすようで、なかなか、興味深い作品の数々である。又、新幹線から、外れてしまった寺町の佇まいも、今回は、ゆっくり観ることが叶わなかったが、こちらも、面白そうである。真っ赤な郵便ポストが、時間を超えるかの如く、銀座の柳の二世の下で、佇立していた。映画、『阿弥陀堂便り』のロケ地巡りと併せて、飯山という所も、小布施とは又、一味違った趣があるように思われる。次は、いつも、やはり、素通りしている須坂の藏街をゆっくりと、散歩でもしてみたいところである。

 

 

高橋まゆみ人形館にゆく;

高橋まゆみ人形館にゆく;

飯山は、これまで、いつも、素通りしていたが、たまたま、戸狩温泉スキー場の民宿に行く途中で、初めて、高橋まゆみ人形博物館に、立ち寄ってみることにした。勝手に、年寄りの人形ばかりだから、その作者も又、年寄りだろうとくらいに、タカをくくっていたら、存外、作者は、若い作者であったこととに、少々、自分の不明を恥じ入ると共に、拍子抜けしてしまった。それにしても、紙粘土で、様々な情感を、とりわけ、老夫婦の関係性や、老母と娘の関係性、或いは、お爺さんと男子の孫や、チンドン屋や、寅さんや、お瞽女の集団や、兎に角、今や、化石と化してしまっているような『関係性と情景』が、小さな粘土細工の人形の中に、見事に、表されている。その表情の、或いは、その仕草だけでなくて、その皺の一筋一筋までもが、見事なまでに、表現されていることに、驚かされる。これは、もう、言葉自体が、必要では無い、只単に、国を超えて、民族を超えて、この芸術的な作品を観るだけの価値は、おおいにありそうである。魚釣りを一緒に、愉しむ情景、看護で、たまたまうたた寝をしてしまった娘を気遣う老婆の手のぬくもり、もう恐らく、80歳をゆうに超えてしまった老夫婦の愛情溢れる情景と仕草など、よくも、こんな情景を、その瞬間、瞬間を、見事に、切り取って、作品に、凝縮・昇華させてしまう技術力は、全く、驚くべきものがある。情景とか、仕草とかというものは、成る程、その一瞬を切り取ってみると、写真撮影とも繋がるような共通点があるのかも知れない。なんだか、既に亡くなってしまった両親や祖父母のことを、遠い昔の記憶の片隅を、想い起こすようで、なかなか、興味深い作品の数々である。又、新幹線から、外れてしまった寺町の佇まいも、今回は、ゆっくり観ることが叶わなかったが、こちらも、面白そうである。真っ赤な郵便ポストが、時間を超えるかの如く、銀座の柳の二世の下で、佇立していた。映画、『阿弥陀堂便り』のロケ地巡りと併せて、飯山という所も、小布施とは又、一味違った趣があるように思われる。次は、いつも、やはり、素通りしている須坂の藏街をゆっくりと、散歩でもしてみたいところである。

 
 

『天空の芸術祭2016』を観る:

『天空の芸術祭2016』を観る:

御牧ヶ原の台地は、何とも謂えないような北海道のような景観に似ていて、天気の良い日に、散歩などをしていると、その空の青さと流れゆく白い雲との調和が、大地の土の色とハーモニーを奏でて、とても気持ちがよいモノである。何せ、45年以上もの長い間、ビジネスの世界に埋没していたせいだろうか、すっかり、右脳は、化石化、機能不全寸前で、アートや音楽や、伝統芸能の観賞などでも、残念乍ら、なかなか、右脳再生が果たされないのが、実情である。北側フロムさんや、田島征三さん等による十日町大地の芸術祭や、トリアンナーレなどで、或いは、瀬戸内芸術祭などを通じて、少しづつでも、芸術を通じた地域の活性化が、住民との交流を介して、前進して行ければ、それはそれで、結構な話である。東御市の、旧北御牧が原台地と八重原台地に跨がる、自然豊かな地域で、『天空の芸術祭2016』というアートフェスティバルが開催されているということを知ったので、出掛けてみることにした。芸大のアーティスト達が、作品を屋外や、溜め池にも、地下室にも、室内にも、展示されていて、とても、興味深いものである。アート作品の鑑賞というものは、なかなか、制作者の芸術的な思いを理解するのが、難しいものの、それ自体を、あれこれ、こちら側が、勝手に想像しながら、鑑賞する事でも、何か、こちら側にも、小さな何らかの心的な変化が生じるであろうことは、どうやら、間違いないであろう。地元の住民も、訳の分からぬオブジェが、眼の前に、忽然と姿を現すことだけでも、何か、インパクトがあっても宜しいし、又、それが、風景を、ソーラー・パネルで自然景観を破壊したり、一変させるような代物でない限り、芸術作品の野外展示というものも、何か、効果があることであろう。そう考えると、何はともあれ、作品の制作に関わりながら、お手伝いすることも良いだろうし、それらの展示を見て回ることも宜しいし、兎に角、自分の出来る範囲で、お手伝いし、積極的に、或いは、消極的にでも、裏方でも、参加・関わることが、大切であるのかも知れない。その意味で、この第一回の開催は、これから先の10年、20年先、どのように発展するかは、判らぬが、大変貴重な第一歩であることは、間違いないであろう。官による訳の分からぬ補助金目当てや、爆買いの伝統や文化・歴史などのコンセプトも理解しないようなインバウンドを頼みとしないような地道な地域住民とのコラボによるこうした運動の点から、点へ、そして、線へ、更には、面へと、地域同士が結びついて行くような将来への展望を希望したいし、何らかの形で、無償奉仕と言う形で、関わって行きたいものである。作品を観ながら、そんなことを感じました。

 

https://www.facebook.com/museum.in.the.sky2016/

 

 

『天空の芸術祭2016』を観る:

『天空の芸術祭2016』を観る:

御牧ヶ原の台地は、何とも謂えないような北海道のような景観に似ていて、天気の良い日に、散歩などをしていると、その空の青さと流れゆく白い雲との調和が、大地の土の色とハーモニーを奏でて、とても気持ちがよいモノである。何せ、45年以上もの長い間、ビジネスの世界に埋没していたせいだろうか、すっかり、右脳は、化石化、機能不全寸前で、アートや音楽や、伝統芸能の観賞などでも、残念乍ら、なかなか、右脳再生が果たされないのが、実情である。北側フロムさんや、田島征三さん等による十日町大地の芸術祭や、トリアンナーレなどで、或いは、瀬戸内芸術祭などを通じて、少しづつでも、芸術を通じた地域の活性化が、住民との交流を介して、前進して行ければ、それはそれで、結構な話である。東御市の、旧北御牧が原台地と八重原台地に跨がる、自然豊かな地域で、『天空の芸術祭2016』というアートフェスティバルが開催されているということを知ったので、出掛けてみることにした。芸大のアーティスト達が、作品を屋外や、溜め池にも、地下室にも、室内にも、展示されていて、とても、興味深いものである。アート作品の鑑賞というものは、なかなか、制作者の芸術的な思いを理解するのが、難しいものの、それ自体を、あれこれ、こちら側が、勝手に想像しながら、鑑賞する事でも、何か、こちら側にも、小さな何らかの心的な変化が生じるであろうことは、どうやら、間違いないであろう。地元の住民も、訳の分からぬオブジェが、眼の前に、忽然と姿を現すことだけでも、何か、インパクトがあっても宜しいし、又、それが、風景を、ソーラー・パネルで自然景観を破壊したり、一変させるような代物でない限り、芸術作品の野外展示というものも、何か、効果があることであろう。そう考えると、何はともあれ、作品の制作に関わりながら、お手伝いすることも良いだろうし、それらの展示を見て回ることも宜しいし、兎に角、自分の出来る範囲で、お手伝いし、積極的に、或いは、消極的にでも、裏方でも、参加・関わることが、大切であるのかも知れない。その意味で、この第一回の開催は、これから先の10年、20年先、どのように発展するかは、判らぬが、大変貴重な第一歩であることは、間違いないであろう。官による訳の分からぬ補助金目当てや、爆買いの伝統や文化・歴史などのコンセプトも理解しないようなインバウンドを頼みとしないような地道な地域住民とのコラボによるこうした運動の点から、点へ、そして、線へ、更には、面へと、地域同士が結びついて行くような将来への展望を希望したいし、何らかの形で、無償奉仕と言う形で、関わって行きたいものである。作品を観ながら、そんなことを感じました。

 
 
 

働き方を考える:

働き方を考える:

又ぞろ、有識者会議で、働き方を考えるという。そもそも、こちらは、もう引退しているのであるから、関係なさそうであるが、これは、なかなか、面白く、刺激的である。いつの時代も、働き方なるものは、経営者側や、国の都合で、押しつけられるのが落ちであろう。働き方とは、大きく分けると、所詮、労働者か、経営者、独立自営業者か、フリーランスに分割され、結局、そのどちらかを究極的に、二者択一せざるを得ないのかも知れない。そう考えると、いつの時代も、余程、しっかりとして、自己責任で、初めから、起業でもしない限り、働き方というものなどは、自覚して、しっかりと、考えないものであろう。今回も、所詮は、人口減、経済に於ける労働生産者人口の増加や、ミス・マッチによる人手不足を、或いは、女性の活用も含めて、結局の所、さぶろく・三六協定も含めて、それ等の枠内での話であって、労働者側の権利をしっかりと、守ろうとするモノではなかろう。もっとも、労働組合も既に、崩壊している以上は、非正規労働者の同一労働。同一賃金の議論も、或いは、非正規労働者の労働条件や、賃金の上昇などは、所詮、二の次で有り、過労死問題や、残業・長時間労働問題など、そもそも、そんなものは、枠外に過ぎないものなのであろう。一体、全体、いつから、こんな議論が、水面下で、狡猾に、準備されてきているのであろうか?非正規雇用の導入も含めて、或いは、税制上の扶養控除の在り方など、様々な形での改革とか、規制緩和と称する形で、労働者の権利が侵害されてくるのであろうか?もうこうなってくると、やはり、時間が来れば、帰宅するだけの、責任もしっかりととらないような、豊洲やオリンピック招致など、地方公務員が一番、安定してして、リスクがない働き方などと思われても、困るし、人生、当たり障りのない生き方が、やはり、一番気楽でよいということになりはしないだろうか?人生の前半を大きな組織の中で、学ばせて貰い、後半生は、独立して、起業した自分の人生に於ける働き方は、一体、どんな思いだったのであろうかと、改めて、今思うと、考えさせられてしまう。若い人達は、一体、この問題提起に関して、どのように、考えているのであろうか?そして、自分の人生に於けるこれからの働き方を、どのように、考えているのであろうか?年寄りには、大変、興味深いところである。

 

働き方を考える:

働き方を考える:

又ぞろ、有識者会議で、働き方を考えるという。そもそも、こちらは、もう引退しているのであるから、関係なさそうであるが、これは、なかなか、面白く、刺激的である。いつの時代も、働き方なるものは、経営者側や、国の都合で、押しつけられるのが落ちであろう。働き方とは、大きく分けると、所詮、労働者か、経営者、独立自営業者か、フリーランスに分割され、結局、そのどちらかを究極的に、二者択一せざるを得ないのかも知れない。そう考えると、いつの時代も、余程、しっかりとして、自己責任で、初めから、起業でもしない限り、働き方というものなどは、自覚して、しっかりと、考えないものであろう。今回も、所詮は、人口減、経済に於ける労働生産者人口の増加や、ミス・マッチによる人手不足を、或いは、女性の活用も含めて、結局の所、さぶろく・三六協定も含めて、それ等の枠内での話であって、労働者側の権利をしっかりと、守ろうとするモノではなかろう。もっとも、労働組合も既に、崩壊している以上は、非正規労働者の同一労働。同一賃金の議論も、或いは、非正規労働者の労働条件や、賃金の上昇などは、所詮、二の次で有り、過労死問題や、残業・長時間労働問題など、そもそも、そんなものは、枠外に過ぎないものなのであろう。一体、全体、いつから、こんな議論が、水面下で、狡猾に、準備されてきているのであろうか?非正規雇用の導入も含めて、或いは、税制上の扶養控除の在り方など、様々な形での改革とか、規制緩和と称する形で、労働者の権利が侵害されてくるのであろうか?もうこうなってくると、やはり、時間が来れば、帰宅するだけの、責任もしっかりととらないような、豊洲やオリンピック招致など、地方公務員が一番、安定してして、リスクがない働き方などと思われても、困るし、人生、当たり障りのない生き方が、やはり、一番気楽でよいということになりはしないだろうか?人生の前半を大きな組織の中で、学ばせて貰い、後半生は、独立して、起業した自分の人生に於ける働き方は、一体、どんな思いだったのであろうかと、改めて、今思うと、考えさせられてしまう。若い人達は、一体、この問題提起に関して、どのように、考えているのであろうか?そして、自分の人生に於けるこれからの働き方を、どのように、考えているのであろうか?年寄りには、大変、興味深いところである。